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「脳を刺激する」80のわたしの習慣
大島 清
ISBN: 4-86081-059-7 C0095
発行年: 2004年11月11日
定価: 1,365円(税込)



◎わたしの簡単プロフィール

  ──と言って履歴書のようなことを書こうとしているのではない。
 強いて言えば「快感」の履歴書である。
 1927年生まれ。今年77歳。
毎朝5時半起床。寝るのは夜の11時ごろ。
 朝飛び起きるとシャワーを5分ほど浴びて原稿を書き始める。書き物がないときは読者だ。
 午後。2時間〜3時間のウォーキング。これはほぼ毎日。おもに鎌倉の山野、海岸、町中を歩く。
『歩くとなぜいいか?』を2004年春上梓。なかなかの評判で、九州の女性から歩くようになって15キロやせられたという感謝に溢れるお手紙を頂戴した。
 週2、3日はプールで1キロ泳ぐ。
 散歩やプールの帰りは、気に入った店や市場で旬の野菜や魚を買い、リュックに詰めて帰る。
 今夜はこれで一杯。
 そう思うだけで心が躍る。  趣味と言えるものは、陶芸、チェロ、そば打ち、料理、押し花、ネイチャースキー、乗馬……。広く浅く何でもやる。
 ときどき、快楽的に生きている友人たちが旬のものを持ち寄ってわが庵でわいわい歓談。
手料理、酒。音楽の先生が楽器を奏で、踊りのお師匠が舞い、詩人、歌人が詩歌を朗読・苦吟する。これをサロン・ド・ゴリラと称する。
 ゴリラとは、わが体型を見て学生がつけてくれたニックネーム。
 住処は鎌倉の山の上。朝は富士山が窓から覗いている。
 講演の依頼が全国から舞い込むから、講演旅行はひっきりなし。人と会うのが楽しいからどこへでも出かけてゆく。
「どうしてそんなにお元気なんですか?」
 呆れ顔で質問する方がいらっしゃるが、元気なものは元気なんだから仕方がない。
「ナニ、それでは答えになっていない?」
 ならばもう少し丁寧にお答えしよう。」


◎快老の極意は「カ・キ・ク・ケ・コ」

わが快老のキーワードは「カ・キ・ク・ケ・コ」にある。
 カは感動。
 キは興味。
 クは工夫
 ケは健康。
 コは恋。
「カ・キ・ク・ケ・コ」を一言で言い表わせば「プラス思考」ということになる。わたしの日常には、これらがなんらかのかたちで絡み合っている。
 感動を求め、興味にかられ、工夫を楽しみ、健康を祝す。そのために陶芸をし、チェロを奏で、足で歩き回り、旬のものを求め、みんなでさんざめきながら盛んに咀嚼し、人生、快なりを極める。
 人々とのふれ合いの中には、爽やかなエロチシズムもそこはかとなく香り立つ。恋心はいくつになっても人の心を浮き立たせる。というより、恋とは感動であり、興味であり、大いなる工夫であり、健全なる心の揺らぎそのものである。
 プラス思考とは言い換えれば「やる気」のこと。
「やる気」さえあれば、77歳の脳でもいくらでも情報をインプットできる。
 インプットさえできれば、脳はそれに反応してシナプスの配線を増やす。シナプスの配線が増えることこそ、脳の果てしない進化と元気の現われだ。
 とてもボケているヒマはない。
 というより、わたしは「老いてますます盛ん」という言葉が好きでない。
 なぜなら自分では老いているつもりがないし、現に脳の細胞は弾けるようにいまだにシナプス配線を増やしていると信じている。
 1日に何キロも歩くことも、週2〜3日1000メートルほど泳ぐことも、年齢とは無関係だ。全国を講演で飛び回ることも、年齢とは関係がない。
 若さとは気の持ちようのことだ。


◎何歳になっても脳は元気、したがって健康そのもの

 好きなことをやっていると、脳内にβ─エンドルフィンというホルモンが分泌される。この脳内物質がA10神経からドーパミンを大量に放出させる。これが快感の元だ。
 アテネ五輪の水泳男子平泳ぎ2冠を制した北島康介が優勝を決めた瞬間「超気持いい!」と叫んだ。
 あのとき、北島選手の脳内には快感物質であるドーパミンが大量に放出されていたのだ。
 彼のような快感体験はわれわれにもできる。わたしの場合でいえば、それが「カ・キ・ク・ケ・コ」。そしてその具体的な現われであるさまざまな趣味体験や友人・知人との楽しいひととき。
 かつて122歳まで生きたフランス人女性ジャンヌ・カルマンさんは、「なんでそんなに元気なの?」という質問に、「笑うことと退屈しないこと」がその秘密だと語った。
 わたしも同じことが言える。
「どうしてそんなにお元気なんですか?」
 人生が楽しいから、楽しいことをやっているから。
 この本はその報告書のようなものである。
「考える」「歩く」「読む」「食べる」「恋する」「眠る」「言葉とのつき合い」「老後とは何か」を通して、なぜわたしの脳は元気なのかを80の具体例に即してご紹介した。読まれた方が元気に感応し、自分なりの元気を実践することを願っている。


1章の3 「率」とか「平均」にだまされない脳を作る

 ある人の息子が学校のテストで正解率が60パーセント上がったと親に報告した。親としては嬉しい。さすがわが子だ。ところが息子の外出中、テストを眺めたら32点に過ぎない。帰宅した息子を問いつめると、前回は20点だったんだからと言った。
 息子の機知にコロッとやられたのである。テストの結果が32点だといっても親は喜ばない。でも60パーセントも上がったと言われれば、これはすごいと思う。この息子なかなか賢い。
 こんな話もある。サラリーマンの平均的な貯蓄は1400万円ぐらいという統計数字があるそうだ。ところが、たいがいの人に聞くと「すごいな、ウチはそんなにない」とため息をつくばかりだ。「落ち込みました」という人もいた。
 でも、ここにもかの息子同様の数字の作為がある。
 80人の人の平均貯蓄額が60円だとする。あとの20人は一人当たり500円の貯蓄を持っているとする。100人の平均貯蓄はいくらか。148円になる。
 おわかりだろう。サラリーマンの80パーセントだけで平均貯蓄額を出すと平均貯蓄額は約600万円となるそうだから、ほとんどの人の実感に近づく。だからこの際5000万円ぐらい持っている20パーセントの人は、自分とは無縁の世界の人と考えればいい。
 統計とか平均値という数字とのつき合いは難しい。でももうそんな数字に踊らされる必要はないだろう。
 かの息子のように比較するなら過去の自分と比較すればいい。前年より数パーセント収入が増えた。嬉しい。他人は他人。わが道をゆくでいいのである。
 他人と比較しなければ人生はらくになる。足るを知るということだ。
「比較するなら大昔の人とですね」。これまた機知にとんだことを言った若者がいた。昔の人は現代人よりはるかに少ないモノ、少ないオカネで楽しく暮らしていた。貧乏を当たり前のように感じ、笑い飛ばしていた。
 多いか少ないか、貧しいか豊かかは相対的な数字がもたらす結果に過ぎない。だから、比較などしなければ、脳をつまらない統計数字や平均値から解放することができる。これまた脳を元気にする知恵と思いたい。


3章の2 「歩くこと」で心に自由と風がみなぎる

「ああ、そうなのか」とある日、気がついた。
 わたしが歩くのは、心が晴れ晴れするからだ。
 それが何より嬉しくて、わたしは歩き回っている。
 もちろん、歩くことは健康にいい。自分の体力に合わせて、誰でもすぐに取り組める体にやさしい運動だ。歩くことがわたしの健康に役立っているのは間違いないだろう。
 歩けば大腿筋が使われる。大腿筋は体の中でもいちばん大きな筋肉で、それを動かすことで脳の根幹が刺激を受ける。それによって脳全体が元気になる。
 頭が元気になれば、心は晴れる。歩くことが楽しいのは、説明すればそういう仕組みになってくる。
 しかしわたしの実感は違う。脳を学んだ人間にしては散文的な言い方になるが、歩くことでわたしはどこまでも自由になる。それが嬉しくて、足の向くまま気の向くままに歩き回る。自分が自由になっていく感覚を楽しむ。
 脳は自由が好きだ。これは間違いのないことで、人間は自由ほど嬉しいものはない。
 そして、「歩くこと」はまったく自由だ。予定は立てても従う必要はない。疲れたら休めばいいし、飽きたら止めればいい。興が乗ったらどこまでも歩き続けていい。
 コースも自由だ。坂道でも階段でも、あるいは路地でも街道でも、さらに言えば浜辺でも山道でも、とにかく2本の足でどんどん歩いて行ける。この気ままさと、柔軟さがありがたい。人間の足はなんと逞しいものかと感激する。
 そして風がある。
 歩くことは風と遊ぶことだ。
 車や電車に乗っても、この風だけは経験できないだろう。吹く風をそのままに体で感じる心地よさは、歩くことでしか味わえないだろう。
他にもたくさんある。歩くことでしか経験できないものはいくらでもある。それをこれから取り上げてみるが、まず最初に、自由と風をあげたい。「歩くこと」が脳の喜びとなるのも、この2つがあるからだ。心の曇り空を吹き飛ばすのも、まさに自由と風ではないか。
だからまず、歩いてみよう。すべてはそこから始まる。


4章の2 音読するなら本を選んで堂々とやろう

 東北大学の川島隆太教授が、「音読」や「計算」が脳の各部、とりわけ前頭前野を刺激することを実験で確かめて以来、日本にはちょっとした音読ブームが湧き起こった。
 けれども、声に出して本を読む習慣はわたしたちにとってもともと馴染みの深いもので、小学校入学と同時にまず教科書を読まされる。教室で大きな声で読み、家でも宿題で読まされる。
 声に出して読むと、文章の理解力がつく。いい文章にはいいリズムがあるから、そのリズムをつかんで本を読むと、文章の意味もしだいにわかってくる。リズムをつかめないのは、まだ意味が把握できていないからだ。
 ところが大人になってくると音読はやりにくい。たとえ書斎があって誰にも邪魔されないとしても、なんとなく気恥ずかしい。朗々と、声に出して読めたら気分いいだろうなとは思っても、ついためらう人が多いのではないか。
 そこで妙案がある。音読することで楽しさが増してくるような本、たとえば『落語百選』(麻生芳伸編・ちくま文庫)のような本を落語家になったつもりで読んでみるのだ。落語の楽しみは前にも書いた(52ページ)。
 落語の面白さは登場人物の会話の「やり取り」だ。このやり取りを楽しもうと思うなら、黙読より音読がはるかに似合う。
 しかも実際の落語は芸の世界になるから、声色を使い分け、調子を使い分け、間に気を配り、自分が落語家になったつもりで読まなければいけない。上手に読んだときは、一席語り終えたような快感すら湧き起こる。
 詩や童話、昔話も音読が似合う。
 とくに昔話は読み聞かせのための文章だから、子どもや孫相手に読んでいるとだんだん上手になってくる。
 上手になってくるというのは、脳が音読の気持よさに刺激されて興奮してきたからだ。
声に出すことで、脳の根源の感情領域まで揺り動かされるからだ。
 つまり音読を楽しむためには、最初から誰かに聞かせるつもりになればいい。
 居間に寝転んで、落語の本に声を出して読めば、家族の誰かがつい聞き入って「プッ」と笑い声をもらすかもしれない。音読は堂々とやるに限る。



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