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| ●定年ちかくになったからといって不良性を捨てるな |
| 老人はガタがきている。考えも古い。小まわりがきかない。おまけに、自分の過去を大切にしようとする。かくしてキャリアがある人ほど、定年後の自分を持てあますことになる。このときが勝負の分れめだ。 体がいうことをきかなくなると、精神がいらついてきて、世間と同化せずにぐれる。中高年のころから、男はほうっておいてもグレるようにできている。まして老人は本質的には不良なのだ。ふてくされて当然である。気にくわないやつとは口をきかなくてよい。トンズラせよ。そしてこの世の面倒なことは若い世代にまかせてしまえ。 会社で部長、局長、役員という経歴があれば、プライドが高いから、「定年後はラーメン屋台をひきます」なんてぐあいにはいかない。私が勤めていた会社の専務は、「定年後は浪曲師になる」といってはばからなかった。その人は人情家で義に厚く、社長を支えてきた番頭格で、つまりは浪花節的人生を地でいく人だった。だから、冗談でそんなことをいえたわけで、本心ではない。 定年後の最大の壁は収入の金額ではなく、人間としての尊厳である。もちろん収入がなければ生きていけないが、かといって会社の要職にあった人が、なりふりかまわず人にすり寄るのは見苦しい。定年後は、それまでの仕事の経験と実績を生かして、小銭を稼いでいくのがよい。げんに、私の現状がそうである。 そのさい問われるのが「不良としての自覚」である。会社をやめて善人になろうとした人はみな倒れたではないか。無理して善人になろうとした人ほど早死にしてしまう。会社内の価値観と世間の価値観は違う。また、定年になってなお、会社内での肩書きを自慢している人は嫌われ者になる。まずは、不良品としての自分を確認して、そこから再出発する。企業戦士が定年を迎えて、以前と同じ生活レベルを維持するためには、少なくとも二倍の年収が必要となる。年金を頼っているだけでは、さきの見通しは暗い。 不良定年をむかえる人は、遅くとも四十歳ぐらいからの準備が必要だ。ひとつは定年を待たず、いつやめてもよいという覚悟である。早期退職制度で四十五歳を定年とするシステムを応用するのもよい。もうひとつは、出世しようとする意志である。係長、課長でいいから、長とつく仕事をこなしてこそ企業戦士である。 企業戦士の醍醐味は出世にある。会社で出世しなくても実力のある人はいるけれど、それはごくまれであって、一定の実力と実績があれば、会社内では、せめて課長ぐらいまではいく。あとは運で、運もまた実力のうちである。 会社員でありながら、「自分の本当の価値観は別のところにあり、会社は、ただ生活のためだけで勤めている」という人がいる。こういう人は不良定年を迎えられない。会社員でありながら仕事を投げ、「出世するやつはうまく動きまわった輩だ」と愚痴をいっているようでは、定年後、社会に出ても、使いものにならない。 会社で出世しないことをよし、としている人間は、出世した人間の悲しさを知らない。同期入社して一番出世した人は、それだけで同僚からうとまれ、「おべっか使い」だの「卑怯なふるまい」だの「自分勝手」だのと陰口を叩かれる。そういった批判や悪口に耐えて、役職に見合う仕事をなしとげていくには、万年ヒラ社員にはわからぬ苦労がいる。長のつく立場で、会社という集団のシステムと感情をコントロールしていくことから、不良定年の道がひらける。仕事ができる男は不良定年をめざす。定年ちかくなったからといって、不良性を捨ててはもったいない。 自分のことを陰で悪くいっている人に、にこやかに冷静に応対する力が不良のはじまりである。したがって四十歳の無気力社員には不良になれるパワーはない。自分がするべき仕事を、人の二倍、三倍となしとげてこそ不良的精神力が身につくのである。 見てごらんなさい。四十代五十代の役職者で辣腕をふるう人は、みんなカリスマ性があり、色っぽく、ダンディーで、義理人情に厚く、不良っぽいじゃありませんか。一見したところガチガチのマジメ人間に見える仕事一途の部長にしたところで、一皮むけば不良少年のおもかげが出てくる。 なぜ、定年を迎えると、しょんぼりしてしまうか。それは、収入が減るからではなく、遊びがすべて会社持ちだったからだ。貧乏会社でじっと耐えてきた人間は、定年などさほど怖くはない。とはいえ、一流会社で経費を使える立場の人は、使えるだけ使っておくにこしたことはない。 私の世代は、みんな不良少年ばかりだった。焼け野原でとっくみあいのケンカをして、薄幸の美少女を追いかけ、進駐軍が配給したまずい脱脂粉乳のミルクを飲み、タンボの稲穂をガム代わりに噛み、進駐軍に石を投げるくせにアメリカにあこがれ、不良の自分を持てあまして生きてきた。 そして就職すれば、汗水流して働いて、結婚すれば給料をまるごと妻にとりあげられてドレイ的生活をつづけてきた。 ほとんどの男はドレイ志願者なのである。給料がふえれば、妻にほめてもらえることだけが嬉しいのに、妻は、それを当然のように受けとり、「あなたの老後のため」という名目で預金をして女学校時代の友人と温泉旅行へ出かける。 困ったことに、妻がそういう贅沢をすることが「夫としての力量」と思いこみ、妻が金を使うほど仕事に精を出す。そのうち、子が「海外旅行に行きたい」といえば、「おう、行ってきなさい」とポケットマネーをポンと出し、父親は場末の安い居酒屋で飲む一杯の焼酎に、幸福感を得る。 これは、安月給のサラリーマンだろうが、大企業の役員だろうが、みな同じで、収入のレベルにあわせて妻子に搾取されつづける生涯である。「男の甲斐性」とは、男のドレイ化を意味する。高級ドレイほど妻子を満足させることができ、そこに無上のヨロコビを感じるのが男という生き者なのだ。 定年後、さて、いままでのドレイ的奉仕のいくばくかを感謝されて、妻子がお父さんへやさしくしてくれると考えるのは、まったくの幻想である。妻子は、定年を迎えたお父さんがぼけると、「いままで家庭をかえりみずに好き勝手にやってきたむくいがきた」と判断して、冷遇する。家庭は非戦闘地域ではない。「家族のため」と思うのは、自分が家族に甘えたいための勘違いにすぎない。いまの世の中、夫に心から感謝する妻が何人いるだろうか。まして子は、親が働くのは当然だと思っている。 善人定年を迎えた日本のお父さんは、ドレイとしての最終通告をうけたも同然で、粗大ゴミとして家族に見捨てられて、飼い殺しされて、ドレイの生涯を完結するに至る。家に金銭を入れない夫は、ドレイとしての価値を失ってしまうのだ。したがって、男は、もっとも味方と思いがちな家族から身を守らなければならない。 死ねばいくばくかの生命保険が支払われるから、墓に骨を埋められてから、「いいお父さんだったわねえ」と供養される。死んでから「いいお父さんだった」っていわれても、仕方がないじゃないの。せめて生きているうちにそういうことを態度で示してほしかった。 このような事態を避けるために、男は定年後も金を稼がなくてはいけない。無理をせずに小銭を稼ぎ、自分の酒の飲み代ぐらいは使える身となるべきだ。 そのためには、妻からの自立が不可欠となる。料理は自分で作る。下着の洗濯ぐらいは自分でやる。アイロンも自分でかける。靴も自分でみがけ。娘に貰ったネクタイを喜んでつけてる場合じゃない。旅行するときの切符は自分で手配する。これが第一歩だ。 つぎに、二、三日の蒸発をする。妻に行く先をつげずに、行方不明となりたまえ。無断で、家に帰らない日をつくれ。これは定年後にやろうと思っても、急にできることではない。定年後に無断で三日間家に帰らなければ、妻は、自殺したんじゃないかと疑い、家出人捜索願いを出すかもしれない。まして、定年を待たずにリストラされた夫がいなくなれば、「どこかの女と逃げたのかしら」と思われ、捜索の手はいっそうきびしくなる。妻としては、金づるのドレイが逃げたのだから、黙っちゃおりません。 無断外泊は、思いたったらすぐやりなさい。最初は一日でよい。ガールフレンドとホテルに泊まったにしても、「いや、おとといは夜、宴会があって、遅くなりすぎて、会社近くのビジネスホテルに泊まった。電車は終っているし、そのほうがタクシーで帰るより安くつく。きのうは朝九時半から会議があったから会社近くのホテルに泊まったんだ。深夜だったから、電話をかけなかった」 といえばよろしい。 これを年に二、三回やり、さらに月に二、三回とつづいていくと、妻も「あ、いつものことね」と馴れてくる。余計な言い訳をしなくてもすむようになり、妻が「うちの夫は放し飼い。給料さえきちんと家に入れてくれれば、ドレイとしての価値はあるわ」と思いこんでくれれば、しめたものだ。 夫は金稼ぎマシーンであるから、本来ならば、こんな姑息な言い訳をする義務はない。それをしなくてはいけないのは、日本の夫婦関係には飼い主とドレイという経済的習慣が根づいているためだ。自分が稼いだ金を自分が使ってなにが悪い、と男は思うのだが、そんなことはそうそう口に出せるものではない。 辣腕の企業戦士は、妻子にも漏らさない秘密がある。秘密事項があってこそ強力社員なのである。強力幹部として不良部分をみがくためには、会社で実績をあげるしか手はない。自分の裁量で使える会社の金が男の力である。金を使っても、それに見あう仕事をしていれば文句はいわれない。また、会社の金を使えば、そのぶん仕事で実績をあげようという気持ちが生まれる。会社の金で遊べない善人社員は企画や営業力はたいしたものではない。不良定年は、一定の出世をした男の特権であることがわかる。 会社で仕事を投げてしまっている無気力社員は、社内で「役立たず」のレッテルを貼られているため、定年に至っても不良化するパワーを蓄積していない。定年を迎えれば、だれにでもペコペコするだけの善人になるしかなく、仕事の注文もこないから、小銭も稼げない。 |
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