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「言葉遊び」で頭のよい子を育てる
「言葉遊び」で頭のよい子を育てる
多湖 輝
ISBN:4-86081-081-3  C0095
発行年: 2005年7月1日
定価: 1,365円(税込)

第1章 もっと「ダジャレ」を言ってみよう!
●日本語はシャレのかたまりです
 その昔、小学校で校長先生をしていた頃のことです。
 低学年の男子児童が「先生、先生」と言いながら走ってきてこう言いました。
「先生、おもしろい話知ってる? フトンが吹っ飛んだ」
 すかさず私も言い返しました。
「枕をなくしてお先真っ暗だ」
 フトンが吹っ飛んだに比べればいかにもまずいできですが、こういうときは真剣勝負。間髪を入れずダジャレにはダジャレで応えるのが、私流の相手に対する礼儀≠ネのです。このときはタイミングがよかったとみえて、その子は大笑いしてくれました。
 ダジャレはできばえよりもタイミングだなと、このときひとつ勉強になりました。
 ふとこんな話を思い出したのは、子どもたちの間で今ふたたびダジャレがはやっていると聞いたからです。
 オヤジギャグなどと呼ばれ、「サブーイ(寒い)」などと冷遇されているダジャレですが、ほんとうはわたしたちはダジャレが大好きなんです。
 なぜかと言えば、日本語には言葉の意味は違っても発音が同じという同音異義語が数え切れないほどたくさんあるからです。
 たとえば松竹梅だって、
 松──待つ、末
 竹──炊け、岳
 梅──埋め、生め
 などという同音異義語が即座に思い浮かびます。
 日本語そのものがダジャレのかたまりと言ってもいいでしょう。
 材料は無限と言っていいほどあるのです。ここに遊び心が生まれます。
 二つの異なるものを何らかの要素で結びつけて、ひとつにまとめたいという遊び心です。
 その一番簡単なものがダジャレでしょう。
 とくにいろいろな言葉をたくさん覚える小学校低学年の児童にとって、同じ音で違う意味をもつ言葉がたくさんあるという発見は、新鮮なものです。
 大人が思うよりもっと新鮮に驚きを感じていると思っていたほうがいいと思います。
 その証拠に、わたしに「フトンが吹っ飛んだ」というシャレを教えてくれた男の子の目は、輝いていました。
 せっかくの新鮮な発見を、「そんなの知っているよ」とか、「くだらない」と切って捨ててしまっては、たとえ相手が子どもでも礼を失することになる。私はそう考えます。
 それに何よりこうした言葉遊びをしているとき、子どもの頭の中はいろいろな言葉を求めてめまぐるしく動いています。サブーイオヤジギャグは、そんな言葉遊びの基本中の基本なのです。
●「馬が生まれる」語呂合わせ
   ダジャレ、オヤジギャグなどと言うと、つまらない言葉遊びに聞こえてしまうかもしれません。
 たしかにオヤジギャグなどと言うと、「親自虐」などという漢字を連想してしまいます。いずれにしてもあまりいいイメージではありません。
 だからもしも、そんなもので子どもと言葉遊びをしたくないというなら、「語呂合わせ」と言葉を換えてもいいでしょう。もっともっともらしく言えばゲーム感覚で学ぶ同音異義語探し探しと言ってもいいかもしれません。
 とくに言葉の数が急激に増える小学校の1〜2年生ぐらいの子どもは、語呂合わせが大好きです。
 「馬が生まれる」と水を向けるとたちどころに「象だゾウ」などと答えが返ってくるかもしれません。
 さらにこれにお母さんやお父さんが語呂合わせで応えれば、それが簡単なゲームになります。

 ・犬がいぬ
 ・ネコが寝ころんだ
 ・パンダのパンだ
 ・サバをさばく
 ・ガラスのカラス
 ・鷹だったかな?
 ・インコのウンコ

 などなど動物に限っても次から次へと出てきます。
 これを子どもと交代で言っているうちにおかしくて、笑いが止まらなくなったという人がいます。
 もしも親子で語呂合わせで遊ぶなら、批評はしないことです。
 子どもが「インコのウンコ」などと言うと、顔をしかめるお母さんがいるかもしれません。でも実は、低学年の子どもは「ウンコ」とか「オシッコ」という言葉が大好きなのです。
 軽く笑いとばして「豚がぶった」などと続けたほうがおもしろい。
 今の子どもたちはコミックやアニメで鍛えられていますから、語呂合わせも頭の中にぱっと絵が浮かぶようです。お母さんがたんなる語呂合わせで言ったつもりでも、豚が誰かをぶっている絵を思い描いて大笑いしたりするのです。
 語呂合わせは、大人にとってはたんなる言葉遊びかもしれません。でも、子どもにとってはイメージを豊かに広げる大切な素材なのです。

 あめんぼと雨とあめんぼと雨と 藤田湘子

 わたしの大好きな俳句のひとつです。楽しく言葉のイメージを育てていくと、こんなすばらしい言葉の世界が描けるようになるかもしれません。
●ひとつのダジャレから次のダジャレが生まれる
 私たちの脳ミソは実におもしろくできていて、ひとつのものから次々に連想していくのが大好きなのです。
 だから子どもと交互にシャレを言い合って遊ぶときも、何かひとつテーマを決めたほうがシャレが出やすいということもあります。
「何でもいいからシャレを言おう」というと範囲が広すぎて、かえって何も思い浮かばなくなるということが多いのです。
 動物、植物、乗り物というようにテーマを決めたほうが次から次へと出てきます。
 たとえば、

 ・バスがぶっ飛ばす
 ・オートバイが二台でおーと(音)倍
 ・ぼーっとしたボート
 ・客船に客千人
 ・トラックに向かってグットラック(good luck)

などなど次から次へと連想が広がっていくはずです。
 何人かの子どもといっしょにこういうゲームをすると、大人も案外真剣になってしまいます。消防車でシャレができないかとか、救急車は何とかなるかもしれないなどと、次々に乗り物の名前を思い出してはシャレができないか考えていきます。
 やってみるとわかると思いますが、たかがダジャレと思ってもなかなか見つからないものです。むしろ自由な発想という点では子どものほうがすぐれているかもしれません。
 なぜかと言えば、子どもたちはこんなことを言ったら恥ずかしいだろうなどと余分なことは考えません。思いついたことをどんどんと言ってきます。
 たとえば苦しまぎれに「電車がでんしゃ(出んさ)」などと言ったりするのです。さすがにこんなときは、「それはどういう意味かな」と聞くのもいいでしょう。
 子どもは恥ずかしげもなく、「電車が故障して出ないっていうこと」などと説明するでしょう。一応説明がつけばそれはあり≠ナす。
 こうしたダジャレ、語呂合わせで遊ぶときは、理屈よりもとっさのひらめきを大事にしたいからです。
 この本のテーマになっている「頭のよさ」とは、集中力とひらめきと連想、連想に説得力をもたせる論理性といったものが総合されたものです。
 何かテーマを決めて何人かでダジャレを言い合うだけでも、これらのかなりの部分が鍛えられていくはずです。
●大人がうまく舵取りをすると、言葉遊びはもっと楽しくなる
 語呂合わせは言葉遊びの基本で、ここからさまざまな言葉遊びが生まれます。
 ひとつのセンテンスの区切りを変えて、文章に二つの意味をもたせるという遊びもあります。同じ語呂合わせでも、少し高度になってきますので、そう次々にできるというものではありません。
 いくつかの基本形があって、それが少しずつ形を変えて子どもたちに受け継がれているようです。
 最初にわたしが聞いたのは次のような会話でした。
 「こいつ昨日下痢したんだって」
 「うん、血が出たよ」
 こうして漢字で書くと何かたいへんな病気になったように勘違いしてしまうかもしれません。しかし相手はいたずら好きの二人組の男の子。しかもにやにや笑いながら話しています。
 「うん、血が出た、うん血が出た、ウンチが出た」
 なるほど、そうきたかと思わず笑ってしまいました。
 これが基本パターンになっているようで、そのあとも、
 「誰がおもらししたの?」
 「うん、この子」
 とか、あるいは掛け合いではなくて「うん、このポタージュ、くさーい」などと言って喜んでいる子どももいました。
 子どもたちはこういうシモネタが大好きなのです。ひとつ基本形ができると、次々にバリエーションを生み出して、笑い合っています。
 「恐怖のみそ汁食べた」というのもありました。これは「今日、麩のみそ汁」だそうです。
 それよりもっとおもしろいと教えてくれたのが、
 「昨日パンつくった」というのです。
 もちろんまともな話ではなくて、「昨日パンツ食った」という裏の意味が隠されています。
 しかしこの手の話は子ども同士で楽しんでいる分にはいいのですが、大人がいっしょになって笑うには少し抵抗があります。
 わたしはこんなときのために、とっておきのネタをもっています。
 「富士山に登った?」
 「いいや、まだ」
 シモネタがエスカレートするようなとき、話題を変えるにはいい材料になります。試してみてはいかがでしょうか。

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