立ち読み Shinkosha Book Web 新講社

父が子と見上げる星座と宇宙
坪内忠太〔著〕
ISBN: 4-86081-052-X  C0095
発行年: 2004年09月01日
定価: 1,470円(税込)


 

プロローグ 宇宙人はいるか

 宇宙人はいるでしょうか。
 イエス。
「まさか」と思うかもしれませんが、そう思ったあなた自身、ご自分が地球という太陽系第三惑星に住んでいる宇宙の知的生命であることを忘れているのではありませんか。われわれはれっきとした宇宙人です。
  では、地球外ではどうでしょうか。地球外に知的生命はいるのでしょうか。
  これも、イエスです。
  いることが確かめられているわけではありませんが、天文学者や宇宙物理学の多くは「いる」と考えています。それは「いる」といえるだけの理由があるからです。
  その理由とは現代の宇宙観です。
  現代の宇宙観は平等宇宙観ともいわれますが、その核心をひとくちでいうなら、「宇宙の大局的な姿はどこでも同じ、どこにも特別といえるようなところはない」というものです。この宇宙観は今に始まったものではなく、1543年にコペルニクスの地動説が登場して以来ずっと貫かれてきた考え方といっていいでしょう。地球が宇宙の中心ではなくなってからも、太陽中心説、さらに銀河系中心説などが唱えられたこともありますがいずれも消え、現在は、宇宙に中心といえるような「特別なところ」はなく、「あちらの宇宙もこちらの宇宙も同じ」と考えるのです。アインシュタインもホーキングもこの立場から宇宙論を展開しています。観測もこれが正しいことを裏付けています。

現代の宇宙観

 しかし、同じといっても、夜空を見上げると星が密集しているところもあれば、パラパラにしかないところもあります。あちらの宇宙にはアンドロメダ銀河があり、向こうには大小マゼラン雲(銀河)があるのにこちらにはない。同じではないと思うかもしれません。
 なるほど細部を見ればその通りです。しかし、ここでは「大局的」という言葉に注目してもらいたいものです。「大局的」とは、「大切なことだけに注目し、それ以外の細部にはこだわらない」という意味です。
 地球を例に考えてみましょう。地球はその名の通り球でしょうか。
  地球上にはアルプスやヒマラヤのような高い山があり、ゴビ砂漠のような平地があり、コロラド渓谷のような深い谷もあって実際の姿はデコボコです。しかし、だからといって「地球は球ではない」という人はいないでしょう。それは細部のデコボコはともかく、大局的に見た地球は球といって間違いないからです。アポロ宇宙飛行士が月から撮った写真を見てもまさに地球は球です。

宇宙人はいる

 同様に宇宙も、細部を見ればいろいろ違いはありますが、「大局的」にはあちらの宇宙もこちらの宇宙も同じと考えるのです。このように平等宇宙観では「宇宙はどこでも同じ」なのですから、「地球だけが特別」という考えはここで消えます。と同時に、われわれ人類だけが宇宙の「特別の存在」という考えも消えざるを得ません。なぜなら、地球と同じような条件の惑星さえあれば、そこにはわれわれのような知的生命体がいてもおかしくないからです。むしろ、「いる」と考えるほうが平等宇宙観の立場からは自然です。天文学者や宇宙物理学者の多くは、この立場から、地球外知的生命すなわち宇宙人はどこかにいるに違いないと考えているのです。あなたも、そう思って夜空を見上げると、静かに瞬く星にいっそう興味がわくのではないでしょうか。どこかの宇宙人もそう思って星を見ているかもしれません。


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