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序章 人は老いても好かれたほうがよい
「快老人」のススメ
「快老人」の四つの実践
人間、いくつになっても「嫌われる」より「好かれる」ほうがいい。
だが、好かれたい好かれたいと奮闘努力して好かれるのはいかがなものか。若い頃ならそうあるべきだが、ある程度年齢を経るとこれは疲れます。
自然体で生き、世間の空気を軽やかに吸いながら「好かれる」なら、そのほうがいいに決まっている。
私が見渡したところ、高齢者で家族や世間、同世代、異性から好かれる御仁には、四つの「実践」が根底にあります。
イントロとして、その四つを紹介しましょう。
実践1 心の若さを保っている
実践2 若ぶらない・偉ぶらない
実践3 クヨクヨしない
実践4 楽しい人間関係に敏感
その結果として、心身の健康という「おまけ」がつく。以下説明してみたい。
第一は、「心の若さ」です。
私は1927(昭和2)年の生まれですが、当然自分を老人とは思っていないクチです。戦争が終わる頃は海軍兵学校の生徒ですから、平成の世では十分に老人の範疇(はんちゅう)だが、自分では矍鑠(かくしゃく)としているつもりです。サムエル・ウルマンの「青春」の詩にこんな一節があります。
「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。(中略)青春とは怯懦(きょうだ)を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる」
どうです? これを眺めていると心の底から元気がわいてきませんか。人は年齢を重ねたから老いるのではない。ならばなんで老いるのか? 一言で言えば心の持ち方で老いるというのです。
ということは、心が若い人はまだ若い。不老とは言いませんが、青春の光芒(こうぼう)の片鱗(へんりん)がいまだ静かに宿っているんです。片鱗の宿る場所は、間違いなく心であり、脳なんです。脳の若々しさが、勇気や冒険心を生み出し、若さのもととなっている。
ただ、脳が生み出すだけでは十分ではありません。これが身体に伝わって、やる気となる。日本には「心身一如(しんしんいちにょ)」というすばらしい考えがあります。心=脳と身体はあたかも一つのもののように働くということです。
残念ながら、身体のほうは若い頃のようには活発に動かない。若い頃は、身体が勝手に動き出すような衝動がありましたよ。年を取るとさすがにこういう感覚はなくなります。
でも、脳と一体となって動かせばどうでしょうか。
どこか行きたい場所がある、誰か会いたい人がいる、したいことがある。こんな動機が強くあれば、身体は脳についていこうと努力するでしょう。ついていけるような工夫をするでしょう。
これが心身一如です。動機と実行。工夫と努力。これらが一緒になることは、脳と身体が一緒になって働いていることなんです。
ちょっとした気の持ちようと日々の努力で、これを得ることができる。そこに若さがあるし、周りに好かれる老人の日常があるわけです。
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